戦争にまつわる場所、行くのにちょっと勇気のいる場所、そんな印象をお持つ人は多くのではないでしょうか?
ひめゆりの名の由来は、沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです、その両方の名前を合わせて「姫百合」戦後からひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです。
当時沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた、女学生222名と彼女らの教師18名の総勢240名、沖縄陸軍病院に動員され、負傷兵の治療に力を注いた、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれ、その名にちなんで慰霊碑「ひめゆりの塔」が建立されました。
悲惨な沖縄戦を後生に伝えるために、元ひめゆり学徒隊の同窓会と募金等により設立しました。悲しい気持ちになりますが、当時の悲惨さを学ぶことができる場となっています。
「ひめゆりの塔」は、那覇市から車で約30分の糸満にあります、敷地には石碑があるひめゆりの塔と平和祈念資料館の2つのエリアに分かれていて、歴史的側面から当時の状況を知ることができます。
資料館では、生存者の証言映像手記、遺品などの展示を通して戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができる。
「ひめゆりの塔」の所在地は 沖縄県糸満市伊原671-1
「営業時間」【年中無休】9:00〜17:00
レンタカーで行く場合は那覇空港からは約30〜40分ほどで行くことができます。 ひめゆりの塔周辺には無料の駐車場がいくつもあるので、停める場所に困ることはないと思います。那覇市内から糸満バスターミナルへ行き、そこでひめゆりの塔へ行く事もできます。
「ひめゆりの塔」から車で30分弱の場所に位置する「旧海軍司令部壕」は、日本海軍設営隊の手によって掘られた長さ450mに渡る壕。
旧海軍司令部壕は沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である、旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、迷路のように掘りめぐらされた壕内には司令部屋や医務室、衣糧庫、発電室が残り、壕が深くなるにつれて変わっていく周りの空気が感じられます、こんな狭い空間に最大で4,000人もの兵士が避難していたのだそうです。幕僚室では当時の幕僚が手榴弾で自決した跡がくっきり残り、戦争その凄まじいさを一度は見ておく必要がある、そんな場所でした。
丘上には、司令官大田実少将ほか多数の将兵をまつる海軍慰霊碑が建立されています。
観光都市として発展した沖縄ですが昔ここでは激しい戦争が繰り広げられていた事を忘れてはならないです。平和が当たり前となった今、“あえて”このような場所を訪れることによって、当たり前の日々に感謝することができるのかもしれません。
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